好きなものの話

アイドルおたくとふじょしの同居

キンプリという映画とアイドルという存在

KING OF PRISM(通称キンプリ)という映画を観てきました。

Twitterやってると、ジャニオタアカウントでもちらほら、2次オタアカウントでは凄い出てくる話題の映画でした。
感想のほとんどは「理解できないけどすごい」「説明できないけど最高」「中毒性がある」という感じの肯定的だが整理がつかないような内容でしたが、ジャニオタアカウントの

「キンプリにハマる人は日比谷の舞台観たらやばい」

この日比谷の舞台というのは場所にして帝国劇場、恐らく演目ではジャニーズワールドあたりのことだと思いました。
あぁ………そういうことか。
なんとなく察したあたり、腐ってもジャニオタです。観た後に、これが浅い理解だったと気づきますが、方向性はそういうことだったと思います。

で、観た感想でいうと
「全然分かんなくない」でした。

私の理解が制作側の意図と同じだとは思わないけど、
少なくともこの世界も感覚も既知のものでした。

冒頭および見所と言っていいプリズムショー。
これこそアイドルの真骨頂でライフワークです。
色んな芸能人とアイドルを分ける境界だと思う。

めくるめく非日常と自分を融合させる能力、
演じるわけでも演奏するでもなく、
自分を魅せることで観客を高揚させる才能。
それが神の造り出した芸術みたいなビジュアルなのか、
歌とダンスを合わせた空間支配なのか、
キャラクターとイメージでの好感度なのか、
どれか1つが突出する人もいれば、
平均値が高い人もいる世界です。

あの現実離れした空間を支配して、
アイドルの自分として存在し続ける人間たち。
観客はただその世界を楽しめば良い世界。
1対無数のコミュニケーションにおいて、
無数側の楽さと心地よさっていうの半端じゃない。
嫌なことも面倒なこともない、
ただただ楽しければそれを全身で表現すればいい。
プリズムショーにはたしかにそれがあった。


あとの部分は、平たく言えばそんなことできる人間も人間だってことです。
アイドルだって、メシ食って寝て年取ってるし、生まれた時からアイドルではないからその前の人生がある。そのあとの人生だってあることも多い。
この辺は、現実のアイドル追ってると好きだとどうしても見えてしまうし、
それに気付いた時にはもう戻れないことの方が多い。

そして、非日常とこの日常の両方を受け入れるともう沼です。
時間軸では繋がった1人の人間だと理解すると、その人生全部の変化も出会いも観測せずにはいられなくなる。
日常すらその人の人生だと思うと非日常になってくる境地。



最後に、日比谷の舞台っていう表現について。
衝突と葛藤と自己表現の爆発みたいな舞台全般だな…と思ったので、
キンプリ観てこれが現実にあるなら観てみたいと思った人は
アナザーとか少年とかドリボとかほんとひろむの舞台まるっと観てほしい。